CULTURE 15「ハカ」

墓について、
ぼーっと考えることがよくある。
僕は学者でないのであくまでも思うだけだが。

「はか」とはおそらくかなり古いことばで
これを使っていたのは大昔の縄文人のいずれかの部族で、
それを継承した弥生人が今に伝えてたのだろうと思う。

計、測、量、図、すべて「はか」と読むのは御存知のとおり。
これはこの大陸から輸入した漢字の「訓読み」であり、
もともとこの島にあった「ハカ」という古い言葉に対する「当て字」だ。
違う漢字によって「ハカる」内容のニュアンスの違いをわけているが
一つ共通する意味は、目盛り、目安をつけたりする様をあらわしている。
予定、計画、量を自分にわかるようにすることだ。
その予定や計画がうまく進んでいる様を「ハカどる」「ハカがいく」(=捗ると書くらしい)と言い。
それが最後までいくとハカるものが無くなって「ハカなく」なる。(これも儚いという字があった)
そして命が「ハカなく」つまり「これ以上ハカれなくなる」と「ハカ」に入るわけだ。

縄文人の人骨が貝塚などから犬や動物の骨と共に発掘された。
それを「野蛮な時代」と解釈して教えられたような気がするが、
多分今ではそうは言われていないと思う。
これは「あの世」にいった者を平等にまつりまた帰ってくることを祈った跡なのだと思う。
つまり貝塚などは生と死の境界であり聖地の極みだったのだろう。
狩猟採集を中心にしてきた縄文人にとって、
命がまわってまた恵みをもたらしてほしいという考えかたは当然だ。
命を育み恵みをもたらす海も山も、至る所が聖地であり、
そこに自由に生き、そして自由に死んでいった。


ところが大陸から新しい文明を携えた民族が渡ってくる。
すでに文明化して久しく、戦乱に満ちたユーラシア大陸からやってきた多数の民族、
日本に到着して、後の世に弥生人と呼ばれる人々である。
国造りの戦乱から逃れ、また新天地を求めて彼等はやってきた。

そして、この島に新しい国を造ろうとする。
安定した生活、食べることに事欠かない社会を力をあわせて実現するのが国だ。
そのためには狩猟採集と僅かな原始農耕の生活はやめて、
大規模農業もしくは牧畜に移行しなければならない。
たくさんの働き手(民衆)と広大な土地が必要だ。 

農耕のため平野を必要とする彼等は、従わない縄文人を駆逐して国造りを目指しただろう。
西日本は諸民族の上陸の地であると同時に、
平野部が多いためそのあたりでネイティヴだった縄文人は侵略の目にあっただろう。
東日本に移る弥生系の民族は少人数で時間をかけての移動だったと想像する。

そのため東日本では弥生と縄文の戦いは西日本ほど多くはなく、
お互いの文化は歩み寄り、縄文ネイティヴもゆっくりと同化していったに違いない。
結果東日本には西日本とは違うさらに新しい文化が生まれたため
中央政権の朝廷(ヤマトのスタンダード)に従わない多くの部族たちが
後に征夷大将軍によって東征をされてしまう。


話しを戻す。
現在、埋葬に関する法律があるが、
まず埋葬の場所を制限する法律はおそらくかなり古くから作られていたに違いない。
死者の霊は誰にとっても神聖で、これは弥生人にとっても変わらない。
縄文人たちがどこでも好きな場所で土に帰るということは、
いたるところに彼等の聖地ができてしまうことになる。
紛争をできるだけ少なくして領土を得るためにも、
新しい埋葬の常識をつくりあげたのはごく初期に行われたに違いないと思う。


文明社会は自然と離れた遠くに来てはいるが、
人は相変わらず植物や動物を食べなければ生きていけないことは変わらない。
そしてそれらは家畜や農作物にかわり、土との繋がりは野生のそれより希薄ではあるが、
完全に繋がりが断たれてしまったわけではない。
生命の輪はその形を歪めながらも回っているのだ。
この繋がりをなるべく健全な輪に近付け、
さらに次に繋げるためにも、
できれば直接土に帰ることができるといいのだけれど。